HOMEPURPLE[同窓生の今] > PURPLE No.007 第8期 木本浩一

木本さんのご紹介

木本さんは湯来町出身で、五日市高校卒業後に広島大学で地理学を学び、卒業後は銀行員として働き、その後広島大学大学院にて地理学を学び、広島大学大学院の助手を経て広島女学院大学の教員になるという一風変わった経歴をもつ方です。大学院時代には政治学や社会学のトレーニングを積まれ、「地理学生まれの社会科学育ち」と自称されています。

現在は、広島女学院大学の学長補佐として新たな大学像を模索し、同大学の教授として学生を育成し、そして世界を又にかけて地理学をベースとした研究を進めるなど、多方面でご活躍されています。

五高時代の思い出インタビュー

さっそくですが、五高時代の思い出を教えてください

私の高校生活と言えば、部活動とバンド活動です。
五高の陸上部は当時県内でも有数だと聞き(砂谷中時代の担任、河野裕二先生[現:三和中学校校長]から)、チャレンジするつもりで飛び込みました。部活での練習メニューは先輩方が最新の書籍を繙きながらつくり、部員全員でそれを共有しながら練習を進めていったのですが、レベルの高さに圧倒され、授業以外は部活動漬けで、毎日ヘトヘトになっていました。
しかし、その中でも自分なりに目標を決めて一つ一つ達成していきました。

バンド活動については、自分が独学で練習していたギターの腕がどこまで通じるだろうか…と、これもまたチャレンジと思って、出身中学の違う人に声をかけてバンドを結成しました。
部活動のない週末はバンドの練習に励み、他校の友人を含めたバンド関係で知り合った友人たちと公民館などで自主コンサートを企画運営するなどしていました。

とにかく自分で何かをすること、創り出すことが好きで、同じようなスタイルでがんばっている友人から多くの刺激を受ける日々でした。

学業の方は、いかがでしたか?

部活動とバンドでいろいろと忙しかったので、学業は授業時間中に集中してやるという形で取り組んでいました。数学や社会、英語などを中心に、試験対策の枠に留まらないように気をつけて、自分で計画を立て、自分で学習を進めるというスタイルでした。

大学進学を考えたときには、学校の先生になりたいという思いがあり、体育科を受験しましたが、二次試験の実技試験の際に専門種目のハードル走で(大雨のなか)転倒してしまい断念しました。

これまで一生懸命に取組んだ陸上競技で失敗してしまい、落ち込まなかったのですか?

「これは向いていないということだな」と直ぐに気持を切り替えました。
そして、その後の進路として家業の大工のことも考えたのですが、父親に「今さら遅い」と一蹴され、以前から気になっていた地域のこと、世界のことに関わる勉強をしてみたいと思って、予備校に通うことにしました。

なぜ、地理学だったのですか?

田舎者という意識がその当時も今もあります。
それ自体何とも思っていないのですが、まわりの人たちに、「湯来出身なんじゃ!」といわれる度に、なぜそのことにみんなが興味を持つのかな…と漠然と考えていました。そして、地域のことを考えるには地理学しかない!と思って、地理学の分野では著名な広島大学文学部の地理学教室に進学することにしました。
大学の評判や研究の内容については、五高時代に助田先生(教頭)から聞いた言葉を覚えていたので、参考にさせてもらいました。

五日市高校在校生へ向けて

高校生活は今後の人生を左右する重要な3年間です。5年後、10年後、さらにその先を見据えて、自分が「社会の中で」やるべき目標を見つけて、どのような時代が来ても、どこにいても生き抜いていけるだけの底力を蓄えていってほしいと思います。

そのためにも日本だけではなく、世界で勝負できるパフォーマンスをぜひ身につけてください!

木本 浩一さんプロフィール

木本 浩一(きもと こういち)大学教授、博士(学術)
所属大学 広島女学院大学:http://www.hju.ac.jp/

取材後記

さすが、大学教授だけあって、話術が巧みで、すぐに話にひきこまれました。
そして、お話を聞かせて頂いて感じたのは、常にポジティブな考えでトラブルをチャンスに変える強い意志でした。
仕事の方では地理学の研究で世界中をフィールドとされており、とても広い視野で物事を考えられており、大学教授というよりは、チャレンジ精神旺盛な地理学職人という印象を受けました。
もちろん、大学教授としてもこれからの学生に向けた新たな大学像の模索と創造に取り組まれており、非常に興味深いお話を聞かせて頂きました。
これからの木本さんのご活躍を期待しています。